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【第2回 前編】 ビーチテニス事業普及法人『濱庭球株式会社』代表 小嶋夕希子さん
こじゆきと関わって、
健康で幸せ=健幸になった
と言ってもらうのが、私の人生のミッション
プロフィール
薬剤師。濱庭球株式会社代表取締役。13歳で父と死別し、母子家庭で育つ。19歳のときに乳がんになった母の介護のために、大学を中退。アルバイトと看病に孤軍奮闘するが、その母とも21歳のときに死別。株のトレードや不動産投資で生活費と学費を捻出し、大学の薬学部にあらためて入学を果たす。大学在学中に、現在の夫や友人らとビーチテニスのオンラインショップ「SMASH BEACH」を立ちあげ、その後、ビーチテニス事業の普及を目指して法人化。「濱庭球株式会社」を設立する。
法人活動内容
現在は、オンラインでビーチテニス用品の輸入販売、ビーチテニスやビーチバレーの選手のサポート、それらのスポーツイベント企画開催などを手がける。今後は、これまでにないコンセプトの薬局の開設など、ココロとカラダに効く事業を行う予定。また、サプリメントの販売やストレスマネジメントのカウンセリングといったビジネスプランも企画中。
薬剤師の仕事に従事しながら、ビーチテニスという新しいスポーツの普及に取り組んでいる小嶋夕希子さん。薬剤師の仕事は、インドアの頭脳ワーク。一方、ビーチテニス事業は、アウトドアのスポーツカルチャー。一見、真逆な活動を両立させる、その情熱が生まれてきた本当のワケは、小嶋さんが歩んできた波乱の半生にありました。
ボロボロだった自分を支え、薬剤師の道を選ばせたのは、母の遺言でした。
ーご両親を早くに亡くされ、1000万以上かかる薬学部の学費や生活費を投資で稼ぎながら進学し、薬剤師になったんですよね。小嶋さんのその異例の経歴に、目をみはらない人はいないかもしれません。苦難を承知で、薬剤師を目指したのはなぜですか。
私の高校時代は、ちょうど薬学部が4年制から6年制に切り替わるタイミングだったんです。理系への進学もとても人気が高いときで、自然と薬学部を目指すクラスメイトも多かったですね。
ならば、周囲と同じ進路を選んでもしかたないかな…と考え、もともと研究職につきたい気持ちもありました。それで入ったのは理学部。
でも、その後すぐに母の乳がんがわかって、入学後半年も経たずに辞めることになります。
親戚付き合いもほとんどしていなかったので、私がひとりで母の看病をしなくてはいけなかったんです。
大学を辞めたとき、介護と両立しやすいような、主に飲食のアルバイトを選ぶんですが、学歴上では高卒なので時給何百円で働く生活。介護も加わって、ただただ消耗しました。
その反動で、大学でちゃんと学び直したいという気持ちが強くなったのと、何より、看護師だった母の遺言が「医療系の資格を取ってほしい」だったんです。
遺していく一人娘の将来が心配だったんでしょうね。「女性がひとりで生きていくには、医療系の仕事がいちばんだから」とずっと言っていました。
となると、医者か看護師か薬剤師なわけですが、私は人に針を刺すのが怖くて、注射や点滴はとてもできそうになく(笑)薬学の道へ進むことを決めました。
ーそんなふうに始まった学生生活は、小嶋さんにとってどんなものだったのでしょう? 大学3年のときに、ビーチテニスのオンラインショップを立ち上げるなど、非凡な一面が垣間見えますが…
正直、入学してしばらくは、ピンと来なかった部分もありました。
私は現役で入った学生たちとは年が5つも6つも違うし、そもそも自ら進んで薬学部に入ってきたというような、積極的な意思を、年下の彼らに感じなかったんですね。
こんなふうに働けたら楽しそうだと目標にしたい先輩も、最初は見つけられませんでした。
周囲は“国家試験に合格すれば安泰だし、将来はバラ色”という空気だったけれど、私は、薬剤師になるために毎日すごく勉強しながら、「なったところでどうなるんだろう?」と。卒業までの6年間があまりに長く思えました。
いま振り返ると、自分がどっちに向かっているのか、向かいたいと思っているのか、自分の目指すところがよくわかっていなかったからなんでしょうけれど。
そんなふうにモヤモヤしていたころ、薬剤師の可能性をもっと拡げていきたいという有志をつなげるグループに出会ったのが転機になりました。
そのグループでは、薬剤師を目指しながら、他にも自分のミッションを持っているとか、まったく別の職業や趣味などを持っている人たちが集まっていました。
この薬剤師グループを介して多芸多才な活動をしている人たちと出会い、薬剤師としての誇りや可能性に気づかせてもらったんです。
大学のクラスメイトたちとの触れ合いだけでは知ることができなかった刺激的な考えに触れることができ、私の中でもさまざまな化学反応が起きたように思います。
それとほぼ同時期に、のちに夫になる男性とも出会うんですね。いまの仕事ともつながるビーチテニスを教えてくれたのは結婚前の夫でした。
最初は、彼から「ビジネスマンの週末起業的な仕事がしたいので、手伝ってほしい」と誘われたんです。
当時、ビーチテニスのラケットやウェアの販売をやっているところが日本では1つしかなく、「僕らも作ったらいいんじゃないか」と盛り上がったんです。それで夫が前に立ち、私がサポートという感じでやってきました。
今では夫が私をサポートしてくれている状況です。
ー学生として薬剤師を目指しつつ、スポーツ事業に関与し、大学5年生のときには結婚もされました。6年ですんなり卒業できたのがすごいです。薬剤師、会社代表、妻という3役のバランスはどう取っていたんですか?
率直に言って、学生のころは、バランスは取れていなかったように思います。
特待生だったので、成績が下がったり、授業の日程を勘違いして欠席したりするたびに、先生に呼び出されて怒られていましたから。
というのも、自分の拠点は東京にあり、なのに大学は栃木にあって車や新幹線で通学。ビジネスの取引先は海外なのでしょっちゅう飛行機で行き来。
出席しなくてはならない補講のある日に、そのことをすっかり忘れて、「よし、学校が休みに入った!」と取引先のある外国に旅立ってしまったことも。
「小嶋さん、いまどこにいるんですかっ!?」と先生から国際電話で大目玉をもらって焦った、なんて失敗もありました(笑)
さすがに国試を控えた前の年には大学の近くに住んで、10か月くらい勉強に専念し、なんとか合格できました。
けれど、私も途中で、いくつもの役割を背負い続けることには悩みましたよ。
薬剤師に専念しようかなと思ったこともあるし、いま手がけているビーチスポーツ関連の事業か他のビジネスだけやればいいじゃないかと思ったり。周囲からもよくそう言われたんですよね。
でも、考えれば考えるほど、薬剤師の仕事もスポーツ振興も、どちらもやりたいことだったんです。
経営者として薬剤師もスポーツもやるという夢に行き着いたいま、むしろあらゆることにエネルギーを注げているので、忙しさもそれほど苦にならなくなってきました。
ーお話を伺えば伺うほど、タフだなあと感心します。実際に念願叶ったいま、やっぱり薬剤師になってよかったと思うことはなんですか。
薬の知識を生かして、家族の相談に乗ってあげられることですね。
薬について正確にわかりやすく説明してあげられるとか、「どれを飲めばいいかわからなくなった」と言われたときも教えてあげられます。
大事な人の健康を気づかえるようになり、だから、そうした親しい人から頼ってもらえる。そのことが単純にうれしいですね。
ファーマシストライフ編集部 (取材・文/三浦天紗子、写真/岡本あゆみ)
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