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【第1回 前編】 アフリカ医療支援NPO 『AfriMedico』 代表理事 町井恵理さん
薬剤師というスキルが、
今のNPO代表に導いてくれた
プロフィール
薬剤師。大学卒業後に製薬会社に勤務。2008年より2年間、青年海外協力隊としてアフリカのニジェール共和国に派遣され、感染症対策のボランティア活動に従事する。ニジェールでの経験を通し、医療問題を根本から改善するために、グロービス経営大学院へ進学。帰国後に2013年にNPO「AfriMedico(アフリメディコ)」を立ち上げる。
支援内容
日本の伝統的な「富山の置き薬」(配置薬)の仕組みをアフリカに広める活動を展開。家庭などに薬を預け、後に使用した分の代金を回収、薬の補充を行い、早期治療や重症化防止などを目的としている。現在、理事とプロボノ(専門知識を生かしたボランティアスタッフ)を含めて23人が所属。アフリカでの医療環境の調査、配置薬システムの普及、医薬品を通じた医療教育や知識啓発、アフリカの現況を伝えるためのイベント活動など。
薬剤師として製薬会社に勤務するかたわら、アフリカの医療支援に取り組むNPO法人を取り仕切る町井恵理さん。もともとは目立ちたくない性分で、記念写真などでも誰かの陰に隠れていたといいます。薬の知識を生かして、新たな可能性と出会うまでを伺いました。
止められない思いで青年海外協力隊へ。それは、自分の限界を知る体験でもあった。
– 薬剤師になるには、薬学部を卒業し、国家試験に受からなくてはなくてはいけません。大学受験の10代で、早くも自分の進路を決めていることがすばらしいと思うのですが、町井さんご自身は、なぜ薬剤師になろうと思ったのですか。
母が薬剤師なんです。ただ、母に影響されたということではなくて、単に私も薬学に興味があったので薬学部をめざしました。
でも、両親には違う道を勧められたんですよ(笑)。母には看護師を、研究者をしている父には研究職をプッシュされました。
卒業後は製薬会社に就職したんですが、「こんな薬剤師になりたい」というような理想モデルは特になかったですね。
けれど、実際に製薬会社で勤務していた当時、私が提案した薬で「症状が改善した、治った」という声を聞くにつれ、意識は変わっていきました。
製薬会社の一社員という感覚以上に、やはり「自分は薬のプロなんだ」というふうに。
特に私は、最初の職場で統合失調症の家族会に関わる機会があり、患者さんだけでなく、その先に患者さんの家族という存在がいるんだと実感したことは大きかったです。
たとえば、患者さんを抱えている家族が、同時に介護を必要とする家族を抱えているケースがあります。
その場合、患者さんの症状と介護の状況とを踏まえて、どう家族の方々と話をし、薬剤選択をしていけばいいのか。目の前のことに対処するだけでなく、長期的な視点、俯瞰する視点も必要だと感じました。
– 仕事はとても充実していたのに、退職してまで青年海外協力隊に入りますね。何がきっかけだったのですか。
ボランティアに目覚めたきっかけは、バックパッカーでアジアを回っていた大学時代、インドのマザー・テレサの家(マザーハウス)。そこでの体験ですね。
それが生まれて初めてのボランティアだったんですが、ものすごく心が揺さぶられました。シンプルに、自分にもできることがあれば何でも手伝いたいと。
それで、1、2年くらい社会人経験を積んだら、青年海外協力隊に参加するつもりでした。ところが、思った以上に仕事が面白くて、結局5、6年後回しになりましたが。
– 青年海外協力隊の件は、ご両親に反対されて大変だったとか。
協力隊に受かってから言えばいいかと、特に相談もしていなかったんです。
いよいよ話さなくてはと、ある日「家族会議をします」とメールしたんですね。家に帰ったらものすごいごちそうが並んでいて。たぶん結婚の報告と勘違いしたんでしょうね(笑)
なごやかに食べ終わったそのあとは、本当にドラマのようです。
母は唖然としているし、父は「ボランティアをやってその先に何があるんだ。先々まで考えた上で行動しろ。諦めることも人生の学びだ!」と。応援してくれていた妹までが「やっぱり私も反対」と言い出して、四面楚歌。
でもそれは“踏み絵”だとも思ったんです。
人からいろいろ言われたとしても、それでもやりたいのかと。試されている気がしました。だから、何度も親と話合い、2、3か月かけて家族を説得し続けました。
実際にアフリカで困難に直面しても、乗り越えられたのはそのおかげかもしれませんね。
– 仕事への不満があった、とかではなかったんですね。
そうですね、特に不満はありませんでした。むしろ薬剤師としての仕事に魅力を感じ始めていた頃でもありました。
でも、マザー・テレサの家での体験に突き動かされて、何か人の役に立ちたいという気持ちが止まらなかったんですね。薬剤師としてのキャリアの構築においてつまづくかも……とも考えなかった。
もしかすると寄り道なのかもしれませんが、薬剤師という資格はちょっとした支えかもしれません。帰国後の再就職の不安とかは、周りが心配するほどには無かったです。
– 2008年から青年海外協力隊として、町井さんは世界最貧国のひとつといわれる西アフリカのニジェールで、マラリアやエイズなど感染症の予防啓発活動に従事されます。
アフリカといっても経済発展はいろいろです。ニジェールは予想以上に何もない地域でした。
病院の数は足らず、医師不足も深刻。交通インフラが整っていないこともあり、村から病院までは徒歩で何時間もかかります。いざ病院についても何時間も待たされるありさま。
医療保険などの社会保障も薄く、貧しくて治療を受けられない患者も多いです。そのため、重症化したり、死亡したりするリスクも高い。
そんなふうに、ないない尽くしだったことで、助けたいというマインドがここまで強くなったのかもしれません。
– そんな状況下で、調査と啓発に奔走されました。手応えはどうでしたか。
私が行った当初は、マラリアの原因が蚊だと答えられた人は20%くらいしかいませんでした。
啓発し続けた結果、2年経つころには80%くらいの正答率にはなったんですが、実際に蚊帳を買ってその中で寝るというような行動改革までできたかといえば、全然だったんです。
お金がない、どこで売っているかわからないなどと言われ、自分がやってきたことの意義を疑うような結果でした。
そこではっきりわかったのは、
「医療の知識がついただけではダメなんだ。行動まで変えられてこそ意味があるのだ」ということ。
一方で、それなら具体的に何をすればいいのかは、全然わからなかったんです。自分の限界を感じました。
– 個人でできることの限界、ですか。
個人というより、まずは期間限定の活動の限界です。
期間を延ばせば「何か」できるのではないかと思って協力隊に入ったわけですが、マザー・テレサの家での短期ボランティアでも、協力隊で2年費やしても足りなかった。そのとき思い知らされました。
何かを成し遂げようと思ったら、一生かけないといけない。
というか、私ひとりでは到底無理で、代々引き継いでいくような状況を作り、将来的に成し遂げられるかどうかの大きな挑戦なんです。
だからこそ、社会貢献したい気持ちだけではダメで、人や資金をマネジメントする能力が必要だとも感じました。自分にそういう力をつけたいと、帰国後は、製薬会社に勤めながら経営大学院(MBA)で学んでみようと考えました。
ファーマシストライフ編集部 (取材・文/三浦天紗子)
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